2019-06-05 第198回国会 衆議院 外務委員会 第11号
本年五月二十日、私は、ウクライナの首都キエフに総理特使として派遣をされまして、四十一歳、俳優出身のゼレンスキー新大統領の就任式典に参列をさせていただきました。
本年五月二十日、私は、ウクライナの首都キエフに総理特使として派遣をされまして、四十一歳、俳優出身のゼレンスキー新大統領の就任式典に参列をさせていただきました。
大統領就任式、総理特使として行っていただきまして、まことにありがとうございます。 今、日本とウクライナは、安保協議ですとかあるいはサイバー協議というものを始めて、少し両国間の交流というのを新たな分野でもスタートさせていこうということで、私も先方のクリムキン外務大臣とはもう何度もお目にかかっておりますが、さまざまな分野で協力関係を築いていきたいというふうに思っているところでございます。
○吉川国務大臣 四月の二十四日から二十九日まで、二階自民党幹事長が総理特使として、今、稲田先生から御指摘をいただきましたように、訪中をされた際に、習近平国家主席と会談をいたしたということを承知もいたしております。
二〇〇三年、外務副大臣時代にはイラク戦争直前、総理特使として現地に赴き、また、イラク戦争後も政情不安が続くバクダットを世界の要人として最初に訪問しました。 これまで、四度の入閣(沖縄・北方、科学技術、IT担当、金融・行政改革、経済産業大臣、経済再生・人づくり革命)を経験させて頂きました。四十七歳で初入閣した、沖縄・北方、科学技術、IT担当大臣。まさに「IT革命」が始まった時でもありました。
我が党の二階幹事長は、中国、韓国とのかけ橋となり、先月、今月と総理特使として両国首脳と会談いたしました。私自身も、二階幹事長とともに韓国を訪れ、文在寅大統領との会談に同席をいたしました。大統領から、しっかりと日本と連携したい、未来志向で協力したいとの話を伺いました。今後行われるであろう日韓首脳会談に向け、大変よい会談であったと率直に感じたところでございます。
私も、政権時代に総理特使としてモスクワに派遣されようとしました。そのとき、たしか大臣は自民党さんの国対委員長でいらっしゃいました。直接電話をして、行かせてくださいと。私、総務委員長か何かだったと思います。大臣はそのときにも非常に協力をしてくださった。結果は、行けませんでしたけれどもね。行けなかったけれども、協力をしていただいたという認識を持っています。
外相、今、安倍総理は訪ロを検討されて、日ロ首脳会談、これは私も総理特使として野田内閣のときに行きたいということで、岸田外相は当時国対委員長でしたかね、お願いをしたことがありました。結局かないませんでしたけれども、私たちも、平和条約そして北方領土の返還、これを求めてまいります。その立場で少し伺いたいと思います。
そうした立場から、我が国としましては、本年八月のロウハニ政権誕生直後から、高村総理特使のイラン派遣ですとか、あるいは国連総会での首脳会談、また外相会談、そして先般の私のイラン訪問まで、EU3プラス3側とも協議をしつつ、一貫して、イラン側が柔軟性を発揮すべきということを促してまいりました。こうした取り組みも、今回の合意に至る上で一助になったのではないかと考えております。
総理は、九月七日に私を総理特使としてイランに派遣し、ロウハニ大統領と会談させました。これに続き、国連総会においては、二国間の首脳会談、外相会談が行われました。さらには、ロウハニ大統領とオバマ大統領との電話会談も実現いたしました。
そしてさらに、現地に城内外務大臣政務官を派遣する、また鈴木外務副大臣を総理特使として派遣するなどの対応をとったわけですが、あわせて、我が国としては、総理からはアルジェリアの首相に対し、そして私からはアルジェリア外務大臣に対し、まず、我々はテロは絶対許さないという基本方針とともに、人命尊重という考え方を伝えさせていただきました。 そして、この事件に関しては、さまざまな国々がかかわっておりました。
また、首脳、大臣レベルで、アルジェリア政府に対して累次にわたり働きかけを行ったほか、関係各国と緊密に連携し、城内外務大臣政務官を派遣し、続いて鈴木外務副大臣を総理特使として現地に派遣するなど、総理を初めとして、私以下、副大臣、政務官も含め、政府として全力を傾注して事態に対処しました。
その中で、長官は、この森特使が訪ロするに当たって事前に当然ながら安倍総理と事前の協議をされていなければおかしいと、こう思いますし、帰ってきてからすぐさま森元総理特使は安倍総理に訪ロの結果の報告をしたんだろうと、こう思っております。これが通例のパターンだと、こう思いますけれども、こういう事前の打合せ若しくは帰国報告の席に官房長官は同席をされましたでしょうか。
先月二十一日、森元総理が、事実上の総理特使としてロシアを訪問されました。高齢化が進む元島民の皆様のお気持ちを考えると、少しでも前進させたい、また、戦略的に進めようとの思いは理解できますが、引き分けとする理由はあるのでしょうか。他の領土をめぐる動きへ与える影響をどう分析されるのでしょうか。そして、今後、どのようにロシアと向き合っていかれるのでしょうか。総理の方針、お考えを伺います。
そのためには、ぜひとも総理特使という肩書で訪問していただきたい。私的訪問のような形でしたら、そこでプーチン大統領と森元総理が何か話しても、いわば私的なおしゃべりのような扱い、低い扱いを受けてしまう。私は、きちっとした立場で森元総理に行っていただくよう、玄葉大臣も尽力をいただきたいと思っております。
さらには、一部報道には、私的訪問であって総理特使ではないんじゃないか、そんなような報道も拝見いたしましたけれども、総理特使として、野田総理の親書を携えてロシアを訪問される、加えてプーチン大統領と会談をされる、このような認識でよろしいんでしょうか。
しかるべき形であれば、特に日本の内閣総理大臣を務めた方であられますから、総理特使として行かれるのが野田総理の日ロ首脳会談の準備に一番資する形になると思いますが、総理特使として行かれるのか、再度確認をお願いしたいと思います。
例えば二〇〇九年三月、福田前総理が総理特使としてUAEを訪問して、ムハンマド・アブダビ皇太子と会談した。それから、四月に、アブダッラー・UAE外相が訪日した際に、麻生総理、中曽根外相からそれぞれ申し入れを行ったというようなこともあります。つまり、そういう長い一連の中でありまして、これを鳩山政権だけのせいにするというのは、私はフェアじゃないなというふうには思います。
その会談の、特に首脳会談のフォローアップという形で先般、緒方貞子総理特使、そして吉川元偉アフガニスタン・パキスタン支援担当大使、新たにこのお二人をそういう形でお仕事をしていただくということになったわけでありますが、この二人が米国を訪問いたしまして、ホルブルック特別代表らとアフガニスタンの復興のための、支援のための包括的な戦略のすり合わせを行ったところでございます。
二月の日米首脳会談あるいは日米外相会談及び三月八日から十一日に行われました緒方貞子総理特使及び吉川元偉アフガニスタン・パキスタン支援担当大使によるアメリカ訪問においても、日本のこのような支援について説明をし、アメリカからもこの支援に対して感謝の意が表明されました。
○国務大臣(中曽根弘文君) 総理特使に任命をされました緒方貞子JICAの理事長、それから吉川元偉アフガニスタン・パキスタン支援担当大使は、九日、ホルブルック・アメリカのアフガニスタン・パキスタン特別代表と会談をいたしまして、今後のアフガニスタンに対する支援の方針等について協議を行いました。
冒頭、今、緒方貞子総理特使がホルブルックさんに会いまして、今日、あした、アフガン、アメリカの最大の外交課題でありますアフガニスタンについて、アメリカの包括的な戦略の見直しの中で、緒方さんが昨日行って、そして、ほかから言われるのではなくて、日本が主体的、能動的に関与して日本が協力しようと、こういうことを今説明し、協力をする話をしております。 そこで、一点だけ聞かせてください。
先月、緒方貞子総理特使が出席をされまして、カブールの国際空港ターミナルの建設、これの竣工式が行われたわけでありますが、我が国はこのような国際空港ターミナルの建設にも協力をし、支援をしておりまして、カブール市のインフラ整備もまた進めておるところです。 文化面におきましても、御承知のとおりバーミヤンの遺跡の修復支援や、アフガニスタンの伝統陶芸の継承を支援してきております。
このままではらちが明きませんが、この場合、総理特使などを派遣して、もっと高いレベルで中国の首脳部に日本側の懸念を伝えるべきではないですか。官房長官、お願いいたします。
さっき私の御説明では次期枠組みをどうするかと、二〇一三年以降の話をしたんですが、国際社会も今すぐできることが幾つかありまして、森総理特使が九月に国連に参りましたとき、三つの具体的な提案をしております。こういう具体的な提案は日本では報道されないものですから、ちょっと一分だけいただいて、三つあります。 一つは、国連の会議場の気温が二十度から二十八度のときには空調は入れない。